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過去のお知らせ

高松塚古墳・キトラ古墳の壁画からの微生物株公開へ
- 文化庁保有のカビ・酵母・細菌株の移管完了と提供開始 -

要旨

 理化学研究所(理研)バイオリソースセンター微生物材料開発室(BRC-JCM)は、2016年6月末に文化庁文化財部古墳壁画室からの移管作業を完了した高松塚古墳壁画およびキトラ古墳壁画[1]から分離された微生物(カビ、酵母、細菌)約730株について、2016年7月より学術利用を目的とした提供を開始します。
 文化庁と国立文化財機構東京文化財研究所(東文研)らの研究グループによって、高松塚古墳およびキトラ古墳の壁画上やその周辺環境から採取した試料から微生物を分離培養し同定する一連の作業[2]が行われています。同定した微生物株は、壁画の修復に用いられる材料への影響や殺菌剤の効果などを調べる壁画の恒久保存対策に関する研究、ならびに、壁画の微生物による劣化メカニズムの解明に関する基礎研究に用いられてきました。一方で、研究を終えた微生物株の保存・維持が課題となっていました。
 BRC-JCMは、研究室などで維持されてきた微生物リソースの存続が危惧される場合、学術・研究的に貴重な微生物株を移管して救済する取り組み[3]を行っています。今回、高松塚古墳およびキトラ古墳の試料から分離された微生物株の中から、学術的に重要と考えられるカビ・酵母・バクテリアの約730株について、文化庁から一括した寄託を受け入れました。これによって、高松塚古墳・キトラ古墳の壁画からの微生物株の保存・維持が可能になり、BRC-JCMから世界中の研究者に対して、学術利用のための微生物株の提供が可能となりました。
 微生物株は、壁画の劣化メカニズムについてさらなる研究を進めていく上で極めて貴重な微生物リソースであると同時に、古墳石室内という稀有な環境を分離源とする希少な微生物リソースです。今後、学術利用を目的とした研究や教育活動などに広く活用されていくことが期待されます。
微生物株と利用に関しての詳細はhttps://jcm.brc.riken.jp/ja/news_kyusai_teikyouをご覧ください。

図 国宝高松塚古墳壁画(西壁女子群像)の上に発生した暗色の微生物の斑点
図 国宝高松塚古墳壁画(西壁女子群像)の上に発生した暗色の微生物の斑点
暗色の微生物が赤い円で囲んだ部分の中に見える。撮影は2006年5月撮影

(文化庁 提供)

1.背景

 高松塚古墳の壁画は1972年3月に発見され、1973年4月に古墳全体が国の特別史跡[4]に、壁画が国宝[4]に指定されました。発見以降、壁画の保存管理の在り方について議論が行われ、1973年10月に高松塚古墳壁画の現地保存方針が固まり、古墳のある現地で壁画が保存されることになりました。しかし、壁画表面には何度もカビが発生し、微生物バイオフィルム(微生物が自身の産生する粘液とともに作る膜状の集合体)も形成されました(図)。漆喰表面に描かれた壁画は非常に脆弱で、乾燥による剥落などの危険性から古墳石室内は高湿度に保つ必要があったため、微生物の生育にとっては有利な環境となり壁画上の微生物を抑えるのが困難な状況が続いたためです。その後、2005年6月、現地保存では壁画の劣化を食い止めることが難しいという判断がなされ、壁画のある石室石材は解体され、修理作業施設で本格的な修理[5]が始まりました。修理後の壁画について、2014年3月に「将来的には、カビなどの被害を受けない環境を確保した上で現地に復旧する」という認識が「古墳壁画の保存活用に関する検討会」において改めて共有されました。今後も壁画を現地に戻すための検討を続けながら、当分の間は、古墳の外の適切な場所において保存管理および公開を行うことが適切であると結論付けられています。それに基づき、保存管理および公開を行うための施設の在り方についても検討が進められています。
 一方、キトラ古墳の壁画は1983年11月に、ファイバースコープによる内部調査で発見され、2000年11月に国の特別史跡に指定されました。発見後に行われた石室内の調査で、壁画が各所で破損しており、剥落寸前の状態である箇所も認められたため、壁画を石材表面から漆喰ごと取り外し、古墳の外で保存することが決まりました。2008年には側壁の絵画部分と天井の星宿図の取り外し作業が完了し、2010年には余白漆喰についても、ほぼすべての取り外しが完了し、修理作業施設においてクリーニング作業や漆喰層の強化処理などが行われました。2016年9月には、壁画を保存・公開する施設(キトラ古墳壁画体験館 四神の館内)が供用開始となり、壁画の公開が行われる予定です。

2.研究手法と成果

 壁画が古墳の中で保存されていた間、文化庁と東文研らの研究グループによって、高松塚古墳とキトラ古墳の両壁画について、微生物による壁画の劣化メカニズムの解明と保存対策に関する研究が行われました。
劣化メカニズムの解明に関する研究では、壁画の定期的な調査の際に確認されたカビや微生物バイオフィルムなどを採取し、そこから微生物の分離培養(培養法[6])を経て、属・種レベルの同定を実施しました。また、直接ゲノムDNAを抽出し非培養法[6]によって、壁画・壁面上に形成される微生物群集の属・種レベルの構成を解析しました。さらに、キトラ古墳石室内では、天井石の星宿図付近の小穴中の黒色粘性物質に、酢酸を生成する細菌群(グルコンアセトバクター属細菌[7])が生息していたことが明らかになりました。代謝産物の酢酸によって壁画の支持体である漆喰が溶かされることも、劣化原因の1つであることが分かりました。また、高松塚古墳の石室解体中の壁石の隙間から採取した試料からも、同属細菌が分離されました。
保存対策に関する研究では、微生物分離株を使って、壁画表面の強化処理に用いられる樹脂などの修復材料の資化性試験[8]、各種防菌防カビ剤・アルコール系殺菌剤などへの抵抗性試験、あるいは紫外線耐性試験など、壁画表面での微生物制御方法につながる研究が行われました。さらに、微生物分離株の中には、系統分類学上新規性の高い分離株なども含まれており、多くの新種の提唱が行われました。その一方で、文化庁と東文研らの研究グループでは、一定の研究を終えた微生物株を今後も保存・維持することが困難な状況となっていました。
 理研BRC-JCMでは、細菌やアーキア(古細菌)、酵母、カビなど、多種多様な微生物株を収集・保存・提供する微生物リソース整備事業に取り組んでいます。微生物リソース整備事業の一環として、これまで研究室や機関で維持されてきた微生物リソースの存続が危惧される場合に、学術・研究的に貴重な微生物株を移管して救済することに取り組んできました。このたび、文化庁からの要望を受けて、高松塚・キトラ両古墳壁画劣化原因調査で分離された微生物株について、その学術的な重要性に鑑み、重要と考えられる約730の分離株について、一括した寄託を受け入れて、学術研究に利用するための提供を可能にしました。

3.補足説明

[1] 高松塚古墳壁画およびキトラ古墳壁画

奈良県高市郡明日香村に所在する古墳で、7世紀末から8世紀初頭に築造されたと考えられている。いずれも石室内壁の漆喰上に極彩色(多彩色)の壁画が描かれている。高松塚古墳の壁画は1972年3月に発見され現地保存されてきたが、2005年6月の現地保存では壁画の劣化を食い止めることが難しいという判断から本格的な修理が始まっている。キトラ古墳の壁画は1983年11月に発見された。後に行われた石室内の調査で、壁画の各所での破損が認められ、古墳の外で保存することが決まった。2016年9月には、壁画を保存・公開する施設(キトラ古墳壁画体験館 四神の館内)が供用開始となり、壁画の公開が行われる予定。

[2] 高松塚古墳およびキトラ古墳の壁画上やその周辺環境から採取した試料から微生物を分離培養し、同定する一連の作業

壁画の定期的な調査の際に確認されたカビや微生物バイオフィルムなどを採取し、そこから微生物の分離培養を経て、属・種レベルの同定を実施した。また、直接ゲノムDNAを抽出し非培養法によって、壁画・壁面上に形成される微生物群集の属・種レベルの構成を解析した。

[3] 微生物株を移管して救済する取り組み

大学教員や担当職員の退職、研究プロジェクトの終了などで、これまで研究室や機関で維持されてきた微生物リソースの存続が危惧される場合が想定される。それら微生物資源には学術研究上重要なものも含まれ、一度散逸してしまうと回復や再収集は難しくなってしまう。理研BRC-JCMでは、東京大学の旧応用微生物研究所(現分子細胞生物学研究所)のIAMカルチャーコレクションなど、存続が危惧される貴重な微生物リソースを移管し、持続的利用ができるようにする取り組みをこれまでに実施してきた。

[4] 特別史跡、国宝

特別史跡は国が文化財保護法で指定した史跡のうち、特に重要なもの。国宝は重要文化財のうち、特に価値の高い建造物・美術工芸品を指す。

[5] 修理作業施設で本格的な修理

2005年6月の「国宝高松塚古墳壁画恒久保存対策委員会」において、石室を解体し壁画を石室石材ごと墳丘から取り出して、保存上安全な施設において修理をする方針が決定された。2007年4~8月には石室解体作業が行われ、壁画が描かれてある石室石材は、国宝高松塚古墳壁画仮設修理施設に搬送され、10年程度をおおよその目安とした本格的な修理が始められた。

[6] 培養法と非培養法

培養法とは、微生物の生育に必要な成分を含んだ培地によって、環境に棲む微生物を培養し、培地に生育した微生物の存在数を調査したり、培地から微生物を単離し、種類や性質を調べたりする環境微生物の研究方法である。これに対して非培養法とは、培地による培養を行わないで、環境試料から直接、遺伝子(DNA)や菌体成分などを抽出・解析して、そこに存在する微生物の情報を得る研究方法である。培養可能な微生物は、微生物群集全体のごく一部といわれており、培養法で得られる情報は限定的となりますが、分離した微生物のさまざまな性質を調べることができる利点がある。非培養法では、培養できない微生物群の情報を得ることが可能となり、より実態に近い微生物群集構造を明らかにできる利点がある。

[7] グルコンアセトバクター属細菌

プロテオバクテリア門(細菌のうち、多種多様なグラム陰性細菌を含む一大系統群)に属する細菌で、好気性でエタノールなどから酢酸を生成する特徴を持つ酢酸菌のグループに含まれる一属。キトラ・高松塚両古墳から採取された試料から、それぞれ2新種と3新種のグルコンアセトバクター属細菌が提唱されている。

[8] 資化性試験

微生物が利用する物質を知るための試験で、通常は微生物が生育のための栄養源として利用できる化合物を調べる。微生物が、修復材料に含まれる化合物を利用して生育することができると、微生物が繁殖して壁画の劣化が進む恐れがある。

4.発表者・機関窓口

<発表者> ※発表内容については下記にお問い合わせ下さい

理化学研究所 バイオリソースセンター 微生物材料開発室
室長 大熊 盛也 (おおくま もりや)
専任研究員 岡田 元  (おかだ げん)
研究員 坂本 光央 (さかもと みつお)
TEL:029-829-9101(大熊) FAX:029-836-9561(大熊)
E-mail:mohkumaアットriken.jp(大熊)
 
文化庁 文化財部 古墳壁画室
古墳壁画対策調査官 建石 徹  (たていし とおる)
文化財調査官 宇田川 滋正(うだがわ しげまさ)

<機関窓口>

理化学研究所 広報室 報道担当
TEL:048-467-9272 FAX:048-462-4715
E-mail:ex-pressアットriken.jp